43歳でミシンにハマったというロッチのコカドケンタロウさんが、刺しゅう入りの新作アイテムを一から手作りして披露したというニュースを見た。「何でも作れてしまうんですね」「商品化してほしい」といった反応が寄せられていた。
(この記事は2026年8月時点で書いています)
わたし自身も長くミシンを使ってきた側なので、このニュースはいろいろと考えるところがあった。
ミシンの楽しさを知る人がいるのが、嬉しい
先に正直に書いておくと、今のわたしはほとんどミシンに触れていない。子育てが生活の中心なので、年に1、2回触ることがあるくらいだ。
だから「いいなあ、自分もやりたいのに」という気持ちが最初に来てもおかしくなかったと思う。
でも実際に浮かんだのは、ミシンの楽しさを知る人がまた一人増えたんだな、という嬉しさのほうだった。
早く触りたい、とは思っていない
意外に思われるかもしれないけれど、早く再開したいという気持ちは、あまり強くない。
時間がなくて悔しい、というような焦りもない。
ミシンは、わたしにとって何かから逃げるための場所ではないからだと思う。逃げ場として必要なものではないぶん、離れていても不安にならない。作るという行為そのものが自分のものだという感覚があって、それは触れていない期間があっても薄れない。
手で覚えたことは、たぶん落ちない
焦っていない理由は、もうひとつある。
「今できていない」ことと、「できなくなった」ことは、別のものだと思っているからだ。
手を使う作業は、一度身につけてしまうと、間が空いても意外なほど戻ってくる気がする。しばらく離れていても、いざ座れば前と同じように使える。そういう自信がある。
これは、自分の手先が器用なほうだという自覚があることも関係しているかもしれない。ただ、それ以上に、長くやっていたことが大きいと思う。長く続けたことは、頭ではなく手のほうが覚えていて、手のほうは案外忘れない。
だから、間が空いていることを心配していない。
もし今、育児や仕事で好きなことから離れている人がいたら、そこはあまり不安に思わなくていいのかもしれない。止まっているだけで、失ったわけではないと思う。
始めるのが遅いのは、不利ではあっても無理じゃない
大人になってから始めることについては、どう思うか。
正直、始めるタイミングとしては不利だと思う。子どもの頃に覚えたことに比べると、身につくまでに時間がかかる面はあるはずだ。
でも、続けた分は、ちゃんと手に残る。ここは言い切れる。
不利ではあっても、無理ではない。それは、実際に手を動かして身につけてきた側として、はっきり言えることだと思う。
ただ、いいものが売れるとは限らない
「商品化してほしい」という反応について、思い出したことがある。
わたしは以前、作家として自分の作品を販売したことがある。
そこで感じたのは、自分がいいと思うものが売れるわけではない、ということだった。
作品の良し悪しよりも前の段階で、作っている人の知名度や、SNSの使い方が上手いかどうかが、売れる理由になっている。そういう部分は確かにあると思った。
知名度のある人が作ったものには、できあがる前から「欲しい」と思っている人がいる。そこでは、作品の出来とは別の力も働いているのだと思う。
でも、それは不公平ではないと思う
そう書くと不満のように読めるかもしれないけれど、不公平だとは思っていない。
商売というのは、きっとそういう構造なのだと思う。誰が作ったか、どこで知ったか、そういうものを含めて人はものを買う。それを恨む気持ちはない。
そしてもうひとつ。
作ったものが売れるかどうかと、作ることの意味は、別のところにある。
前に書いたとおり、わたしにとっては作るという行為そのものが自分のものだ。だから、売れなかったことが、作ってきたことの価値を下げてはいない。
売れる売れないで、そこは揺らがなかった。
まとめ|大人になってから始めても遅くない
ひとつのニュースから、ずいぶんいろいろなことを考えてしまった。
今のわたしはミシンにほとんど触れていないけれど、それを焦ってはいない。手が覚えていることは、離れていても落ちないと思っているからだ。そして、作ったものが売れるかどうかで、作ることの意味は変わらないとも思っている。
そう考えると、始める時期も、上手いか下手かも、売れるか売れないかも、作る楽しさそのものとは別のところにある話なのだと思う。
だから、大人になってから始めても、遅くはない。
興味があることは、体験教室のようなものからでもいいので、一度やってみてほしい。合わなければやめてもいいし、しばらく離れることになってもいい。それでも、手が覚えたものはちゃんと残る。
作る楽しさを知る人が、もっと増えたらいいなと思っている。

