現金だから遅いわけじゃない|レジでイラっとする気持ちの正体を考えた

気になる言葉・話題

現金払いをめぐって、「正直イラっとする」「後ろの列のことも考えてほしい」といった声があると報じられていた。

(この記事は2026年8月時点で書いています)

わたしは現金派なので、たぶん言われている側にいる。ただ読んでいるうちに、自分の中にも同じ苛立ちがあることに気づいてしまった。

わたしは現金派で、たぶん言われている側

普段の支払いは、ほとんど現金だ。

いちばん大きな理由は、ずっとそうしてきて慣れているから。ただ、それだけでもない気がしている。

キャッシュレスの仕組みが、あまり好きではない

始めたくない理由のほうにも、いくつか思うところがある。

ひとつは、手数料がお店側の負担になっていること。ひとつは、実際にお金が減った感覚がないこと。そしてもうひとつは、ポイント還元によって消費を煽られているように感じること。

書き出してみると、この三つはつながっている気がする。お店が手数料を払って、客はお金が減る実感を失って、その代わりにポイントで買う気にさせられている。お店と客が少しずつ何かを差し出す形で、あの便利さが成り立っている。

そういう構造が、なんとなく気になってしまう。悪だと言いたいわけではないけれど、進んで乗る気にはなれないでいる。

でも、現金が遅いというのは本当だろうか

そのうえで、ひとつ引っかかっていることがある。

正直に言うと、わたしはキャッシュレスの人にイラっとすることがある。

カードやスマホをさっと出してピッとして終わり、のはずなのに、実際はそうならないことが多い。アプリの中で割引券を探すのに一手間、会計用のバーコードを出すのにまた一手間。カードを渡しても、暗証番号を入れたり、うまく読み取れなかったり、カード会社に確認する通信を待つ時間があったりする。

わたしはレジに着く前に、だいたいの金額をすぐ出せるように用意している。だから、自分のほうが数倍早いと感じる場面のほうが多い。

つまり、列を止めているのは支払い方法ではないのだと思う。割引券を探す、バーコードを出す、暗証番号を入れる、通信を待つ——手順の数と、準備をしていたかどうか。そこで速さが分かれている。

現金でも準備していれば速いし、キャッシュレスでも準備していなければ遅い。

ただ、わたしもイラっとしている

ここまで書いておいて何だけれど、じゃあ実際に遅い人がいたときに自分がどうしているかというと、しっかりイラっとしている。

その気持ちが正当かと聞かれると、正当だと思いたい、としか言えない。

きちんと準備している現金の人もいれば、レジでもたつくキャッシュレスの人もいる。逆に、財布を探し始める現金の人もいれば、一瞬で終わるキャッシュレスの人もいる。結局どちらの側にも両方いるので、人を裁けるような立場ではない。

思いたいけれど、思い切れない。そういう状態のまま書いている。

イラっとする正体は、時間じゃなかった

では、何にイラっとしているのか。

考えてみると、待たされた分数の問題ではない気がする。時間の長さが問題なら、10秒待つのと30秒待つのとで、苛立ちの強さも違うはずだ。でも実際は、そこはあまり変わらない。

いちばん強く引っかかっているのは、「なぜ準備していないのか」のほうだった。

ずっと自分の前に並んでいたのに、自分の番になってから慌てて財布を探し始める。並んでいた時間は使えたはずなのに、使わなかった。そこに反応している。

つまり、待った時間ではなく、待つことに使えたはずの時間を使わなかったという態度のほうを見ている。

だとすると、支払い方法はやっぱり関係がない。準備していない現金の人にも、準備していないキャッシュレスの人にも、同じように苛立っている。「現金の人はイラっとする」というのは、たぶん犯人を間違えている。

レジだけの話ではなかった

同じことを、車の運転中にも思う。

信号待ちでスマホを触っていて、前の車が発進したのに気づくのが遅れる。その一台の分だけ、青のあいだに通れる台数が減る。そういうときに、かなりイラっとする。

面白いのは、自分がその青で通過できていても、やっぱりイラっとするということだ。

自分が損をしたから怒っているわけではない。気にしているのは自分の待ち時間ではなくて、その場全体がうまく流れなかったことのほうらしい。

そう気づくと、これはレジだけの話ではなかったのだと分かる。

でも、理由は外からは見えない

とはいえ、準備できない人がいることは分かっている。

子どもがいる。体調や年齢の事情で、ゆっくりしか動けない。そういう理由があれば、仕方ないと納得できる。

そして何より、わたし自身もできないことがある。準備していても、子どもがぐずったり走り出したりする。レジ袋を買うことになったり、レジ横の商品を追加したりして、想定していた金額と変わってしまう。

そういうとき、後ろから見たらわたしも「理由がなさそうなのに慌てている人」に見えているはずだ。

自分だってできないときがあるのに、他人に対してだけ許せない。そこは自分の中で引っかかっている部分ではある。

ただ、苛立ちというのは勝手に湧いてくるもので、湧いたことを責めても消えてはくれない。湧いたものは湧いたものとして、気づいたところまでを書いておく。

まとめ|たぶん、変わらない

願いのようなものはある。

通勤時間帯のように明らかに急いでいる人が多い場面や、渋滞しているときには、周りの状況を見て動ける人が増えたらいいなと思う。

でも、それが実現するとは思っていない。

見えない理由を抱えている人はいるし、そういう人にイラっとしてしまうのは申し訳ない。かといって、理由がなさそうな人もやっぱりいる。どちらも同じ列に並んでいて、外からは見分けがつかない。

見分けがつかないまま、みんな並んでいる。社会の構造って、たぶんそういうものなのだと思う。

タイトルとURLをコピーしました