「ドパガキ」は、本人が自分に言う言葉でもあった|使う人が変わると、意味も変わる

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先日、中学2年生の息子さんが短い動画に夢中になっていて心配だ、というお母さんの話を紹介した記事を読んだ。その記事の中で「ドパガキ」という言葉が使われていた。

「ドーパミン」と「ガキ」を組み合わせたネットスラングで、短い動画やゲームのような強い刺激に慣れて、集中が続かなくなった状態の子どもや若者を指すらしい。医学的な診断名ではない。

(この記事は2026年9月時点で書いています)

この言葉、子どもをバカにしていないか

最初に引っかかったのは、言葉そのものだった。

意味をきちんと知る前から、響きからして見下している感じがする。「ガキ」が入っている時点で、少なくとも褒めてはいない。子どもを心配する話の中で、子どもを小さく扱う言葉が使われている。そこに引っかかった。

調べてみると、自分に向けて言う言葉でもあった

気になって調べてみると、少し違う面が見えてきた。

この言葉は、若い世代が自分のことを笑って言うときにもよく使われていた。「自分、完全にドパガキだわ」というように。勉強しなきゃいけないのに、ついスマホに手が伸びてしまう。そういう「あるある」を、自分で先に言ってしまう使い方だ。

誰かを叩くためだけの言葉だと思っていたので、ここで第一印象が少し変わった。自分たちで言っているのなら、それはそれでいいと思う。

でも、やっぱり引っかかりは残った

ただ、そこで納得しきれなかった。

言葉は同じなのに、使う人が変わっているからだ。

整理すると、たぶん3つの段階がある。

1. 本人が、自分に使う(自虐)

2. 親が、自分の子に使う(心配しながら、少し呆れている)

3. 関係のない人が、よその子に使う(ただの評価)

最初に読んだのは、子どもを心配する親の話だった。ところが、その記事についたコメントでこの言葉を使っていたのは、3番目の人たちだった。その子のことを知らない、関係すらない人たちだ。

1番目には、自分を笑う軽さがある。2番目には、少なくとも心配がある。でも3番目には、そのどちらも残っていない。残っているのは、他人を分類するための道具としての役割だけだ。

同じ言葉なのに、使う人が遠ざかるほど、意味が変わっていく。

分析のふりをしているけれど、中身は「ガキ」

この言葉が厄介だと思うのは、少し分析的に見えるところだ。

「ドーパミン」という科学っぽい言葉が入っている。だから、悪口ではなく、現象を説明しているように聞こえる。でも、後ろ半分は「ガキ」だ。

わたしは、他の人にどう思われてもあまり気にならないほうだと思っていた。

でも考えてみると、シンプルに誰かから「バーカ」と言われたら、やっぱりイラッとくる。言われたくない言葉というのは、やっぱりある。

もし自分が子どもで、知らない大人から「ドパガキ」と言われたら。たぶん、イラッとすると思う。説明っぽい言葉で包まれていても、言われているのは「ガキ」だからだ。

わたしは使いたくない。でも意味は知っておきたい

わたし自身は、この言葉を絶対に使いたくない。

人を蔑む言葉を他人に向けて使うのは、子どもでも大人でも、やめたほうがいいと思っている。

一方で、意味は理解しておきたいと思った。

新しい言葉は、どんどん出てくる。社会で何が起きているのかを理解するには、知らないままでは困ることもある。だから、知ることと、使うことを分けている。意味は押さえておく。でも、自分の口からは出さない。

覚える価値と、調べる価値は別かもしれない

とはいえ、出てくる言葉を全部覚えようとは思っていない。

わたしの中には、ざっくりとした線がある。社会の問題に近い言葉は、理解しておきたい。逆に、若い人の間で流行っている言葉は、無理に覚えなくてもいいと思っている。一時的なことが多くて、半年先には忘れられていることも少なくないからだ。

以前「滅」という言葉を調べたことがあるけれど、あれは覚えなくていい側の言葉だと思う。

ただ、覚えなくていい言葉でも、流行っている間はその意味を知りたい人がたくさんいる。覚えておく価値と、そのとき調べる価値は、別なのかもしれない。

ドパガキは、わたしの中では覚えておきたい側に入る。流行り言葉の形をしているけれど、人をどう呼ぶかという、ずっと続いている問題につながっているからだ。

半年後に残っているかは、わからない

この言葉が、半年後にも使われているかどうか。正直、わからない。

残る方向の力はあると思う。他にうまく言い換えられる言葉が出てこなければ、便利さで残っていくかもしれない。

消える方向の力もある。「ガキ」という言葉を口にしたくない人は、一定数いる。そういう人が使わなければ、使う人が自然と減って、忘れられていく可能性もある。

どちらに転ぶかは、予想しないでおこうと思う。

言葉が消えても、次のが来る

ただ、ひとつだけ思っていることがある。

仮にこの言葉が消えても、人を蔑む言葉は、また違う形で生まれてくると思う。

だから、ひとつひとつの言葉を追いかけても、たぶん終わらない。今回はたまたまこの言葉に引っかかったけれど、次に出てくる言葉は、もっと気づきにくい形をしているかもしれない。

覚えておきたいのは、言葉の意味よりも、人を蔑む言葉が生まれていること自体に気づける感覚のほうだ。そういうものに、ちゃんと反応できるようになりたい。

まとめ|でも、基準は人それぞれ

ひとつの言葉を調べていたら、思っていたより遠くまで考えることになった。

最初は、子どもをバカにしている言葉だと思った。調べてみたら、自分に向けて言う言葉でもあった。それでもやっぱり引っかかったのは、言葉そのものより、誰が誰に向けて使っているかのほうだった。

本人が自分に言うのと、関係のない人が他人に言うのとでは、同じ言葉でもまったく別のものになる。そこに「ドーパミン」という分析っぽい言葉が付いていると、それが悪口だということに気づきにくくなる。

わたしは、人を蔑む言葉が生まれること自体に、反応できるようになりたいと思っている。

ただ、どんな言葉を嫌だと感じるかの基準は、人によって違う。同じ言葉を聞いても何も感じない人もいるだろうし、それが間違っているとも思わない。

だから、読んでくれた人に同じ結論を持ってほしいとは思っていない。周りが使っているからと流されずに、自分の考えで、自分の意見を持てる人であってほしい。言葉が次々と入れ替わっていく中で、それがいちばん確かなことだと思う。

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