プリクラが登場したのは1995年で、去年、30周年を迎えたのだそうだ。それを記念して、昔の機種の写りが今の機械の撮影モードとして復活していた、というニュースを見た。企画自体は期間限定で、すでに終わっている。
(この記事は2026年8月時点の情報をもとに書いています)
思い出したのは、顔とフレームだけの機械だった
そのニュースを見て、真っ先に浮かんだのは、いちばん初期の機械のほうだった。顔だけが写って、あとはフレームを選ぶだけ。それ以外は何もできない、シンプルなものだ。
わたし自身は、高校くらいまで少し撮っていた程度で、熱心なほうではなかったと思う。それでも、思い出したのは進化していったあとの機械ではなく、何もできなかった頃のものだった。
家の周りにはなかったから、出かけた先で撮った
当時、家の近くにはプリクラの機械があまりなかった。都会ではなかったので、置いてある場所自体が少なかったのだと思う。
だから撮るのはいつも、友達とどこかに出かけた先だった。目当てにして行くというより、行った先にあったから撮る、という感じだったと思う。めったに撮れるものではなかった。
貼って、交換して、ファイルに入れて、やらなくなった
最初は、筆箱に貼っていた。友達と交換もした。
そのうち、貼らずにファイルに入れるようになった。ときどき開いて眺める程度になって、だんだん撮らなくなっていった。
使うものから、取っておくものに変わって、そこで終わった。
近所で撮れるようになったら、ただの写真になった
やらなくなった理由のひとつは、自分の写真を撮るのがあまり好きではないことだと思う。でも、それだけではなかった。
その頃には近所にもプリクラの機械ができていて、いつでも撮れるようになっていた。ファイルに溜まっていくプリクラを見ても、これがいつ撮ったものなのか、そのときに何があったのかが、思い出せなくなっていた。毎回だいたい同じメンバーで撮っていたことも、たぶん関係している。
思い出すためのものとして機能していない、ただの写真になっていた。
昔の写りが、今はオシャレらしい
その、性能が足りなかった頃の写りが、期間限定とはいえ、撮影モードとして選べるようになっていた。
レトロなものが流行っていると聞くし、その頃を実際には知らない世代が、画素が粗くてはっきり見えない写真を、逆にオシャレだと感じているのかもしれない。
その感覚は、少しわかる気がする。今はほとんどの写真がきれいに撮れてしまうから、粗いことが珍しくなって、レアなものとして見えるのだと思う。
わたしは自分が写った写真をほとんど撮らないので、加工をしたこともない。それでも、粗くしたほうが綺麗に見えることがあるのは、なんとなくわかる。細部が見えないほうが良く見えるという場面は、確かにあると思う。
プリクラは、写真ではなくて話のきっかけだった
なぜ「ただの写真」になってしまったのか、その理由をずっと考えていて、たぶんこういうことだと思った。
プリクラは、思い出を楽しむためのアイテムだった。交換するときに「ここに行ってきたよ」と話したり、「このあとこんなものを食べた」と話したり、その時間のほうが本体だったのだと思う。眺めれば、このときは楽しかったな、と思い出すきっかけをくれる。
だから、出かけた記憶と結びつかなくなった瞬間に、話すことがなくなった。話すことがなくなったら、ただの写真になる。
プリクラの本体は、写真ではなくて、それを見せながら話す時間のほうだった。
今も、人の写真は話と一緒に受け取っている
では、今のスマホの写真はそのきっかけになっているかというと、全部がそうだとは思えない。
わたしは記憶力があまり良くないので、自分で撮った写真を見返しても思い出せないことが多い。
でも不思議なもので、友人の旅行の話や、オシャレなカフェに行った話は、写真を見せてもらいながら聞くと、よく残っている。
つまり、写真が記憶を呼び戻しているのではなくて、誰かが話してくれることで、その写真に中身が入るのだと思う。プリクラという形がなくなっただけで、やっていることは今も変わっていない。
昔に戻っているのではなく、応用して進んでいる
昔の写りが復活したことを、技術的な逆行だとは感じていない。
ファッションの世界では、10年前に流行ったものがまた流行ることがよくある。でも、まったく同じものが同じ状態で戻ってくるわけではなくて、どこかは必ず変わっている。
技術的な進化がかなり進んだ分野では、これからの進化は、過去のものを応用しながら進んでいくのだと思う。形が変わるだけで、止まっているわけではない。
スマホのカメラがこれだけ良くなった中で、それでも30年を超えて続いてきたということ自体が、時代に合わせて変化してきた証拠なのだと思う。今後の進化も楽しみにしたい。
撮りたいと思った時に、撮れる場所であってほしい
プリクラは今も若い人のもの、というイメージが強い。
でも、わたしのように若い頃はあまり興味がなかった人がいるなら、逆に、今になって撮ってみたいと思っている年配の人もいるはずだ。
一人で外食をするのが「ぼっち」だと思われるのが嫌で、なかなかできなかった時期がある。でも今は、一人でもまったく気にならなくなった。世の中のほうが変わったのだと思う。
それと同じように、撮りたいと思った人が、年齢も性別も人数も気にせずに撮れる場所であってほしい。ニュースを見て思い出した人が、何歳であっても、撮りたくなったときに撮れるように。

