7割の子がまだ使っている、を失敗と呼ぶかどうか|16歳未満SNS禁止から半年

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オーストラリアで16歳未満のSNSアカウント作成が禁止されてから、半年後の調査結果が出た。それを伝えるニュースを読んで、思っていたより長い間考え込んでしまった。

(この記事は2026年8月時点の情報をもとに書いています。制度も調査結果も動きが速いテーマなので、今はまた状況が変わっているかもしれません)

世界初の規制から半年、7割の子がまだ使っていた

オーストラリアでは2025年12月10日から、16歳未満のSNSアカウント作成が禁止されている。国レベルの法規制としては世界初だという。特徴的なのは、子どもや保護者への罰則が一切なく、事業者側に「合理的な措置」を義務づける形になっていることだ。

施行から半年後、規制当局が8歳から15歳の子を持つ保護者898人に調査したところ、保護者の70%が「子どもは今もSNSを使っている」と答えたという。子ども本人に聞いた数字ではない。別の調査では86%という数字も出ていて、調べ方によって幅がある。いずれにしても、報道の見出しは「規制の効果は限定的」というトーンだった。

この数字を見て、最初に浮かんだのは、すでに楽しさを知ってしまった子どもたちのことだった。知ってしまったものを我慢するのは、大人が思うよりずっと難しいのだと思う。

でも、3割は使っていないということでもある

同時に思ったのは、70%が使っているということは、3割は使っていないということでもある、ということだった。

同じ調査結果でも、どちらを主語にするかで受け取り方が変わる。「7割がまだ使っている」と書けば失敗に見えるし、「3割は使っていない」と書けば、少なくとも何かは動いたように見える。

もっとも、この3割の中には、もともと使っていなかった子も含まれているはずだ。調査は「今使っているか」を聞いたものなので、そのまま「3割がやめた」と読むことはできない。それでも、どちらを主語にして語るかで、同じ数字がまったく違う話になってしまうことは確かだと思う。わたしはできれば、後者の側から見たい。

それに、半年で判断するのは早すぎる気がしている。この規制の結果が本当に見えるのは、規制が始まった時点ですでにスマホを知っていた子どもたちが、大人になるまでの長さで見たときではないかと思う。

知ってしまってから取り上げるのは、大変だと思う

同じ法律なのに、当たり方がまるで違う子たちがいる。

これから育つ子は、最初から「16歳までは使えないもの」として知る。でも今の子は、一度手にしたものを途中で取り上げられている。同じルールでも、後者のほうが圧倒的に酷だ。

現地の報道でも、この規制の恩恵を受けるのは今の子どもたちではない、という書かれ方をしていた。今の子は、過渡期を引き受けさせられている側なのだと思う。

それでも、この規制は必要だと思っている。規制があることで、少しずつ「これはダメなことなんだ」と理解する子が増えていく。そうやって次の世代には、当たり前として届くようになるのだと思う。

子どもがずるいとは思わない

年齢確認をすり抜ける方法がいくつか報じられていて、実際にそうやって使い続けている子がいるという。

でも、その子たちをずるいとは思わなかった。

子どもの楽しみは、大人が思っているより少ない。自由に使えるお金もなく、行動できる範囲も狭い。そんな中で、お金がかからず、いろいろな人と簡単につながれて、面白い動画がずっと見られる。それはとても魅力的なはずだ。しかも我慢を求められる期間は、何年も先まで続く。

だから、すり抜けたくなる気持ちのほうは、わかると思ってしまう。

ただ、それでも規制はすべきだと思っている。すり抜けられてしまう仕組みのほうに問題があるとしても、実際に被害が出ている以上、何もしないという選択肢はない。気持ちがわかることと、判断を変えることは、別のことだと思っている。

回避できる子は、考える力がある子だ

もうひとつ、すり抜けている子について思ったことがある。

回避する方法にたどり着いて、実際にそれを実行するには、自分の意思と行動力がいる。何も考えずに使っている子より、ずっと頭を使っている。

だから本当は、大人が「なぜダメなのか」を説明したときに、いちばん理解できるのもその子たちなのではないかと思う。理解する力があるからこそ、回避もできている。

もっとも、理解したうえで「でもやりたいからやる」となるのだろうな、とも思うけれど。

それでも、使えない子のほうが得をしている

ここからは、たぶん賛否が分かれるところだと思う。

素直にルールを守っている子だけが使えなくて、要領のいい子は使えている。それは不公平に見える。でも、人としての成長という面で見たときに、得をしているのはどちらだろうと考えると、わたしは使っていない子のほうだと思う。

要領のいい子は、欲しかったものを手に入れている。でも同時に、SNSから受ける影響からも完全には逃れられない。手に入れたものと一緒に、そちらも受け取っている。

前の節で「考える力がある」と書いたその力が、結果として自分の不利に働いている。本人がどう感じるかは別として、そう見えてしまう。

規制は、親に断る理由を与えた

規制の目的は、社会全体で見れば子どもをSNSから遠ざけることだと思う。でも実際にいちばん効いているのは、別のところかもしれないと思っている。

現地では、法律を理由にして子どもにSNSを断れるようになった、という保護者の声が出ている。

わたし自身は、規制がなくても断れるほうだと思う。「うちはうち、よそはよそ」で押し切れる。でも、それが難しい人もいる。学校で流行っているものを子どもが欲しがって、買うために遠くまで足を運んだり、行列に並んだりする、という話を聞くことがある。断る理由が見つからないまま、押し切られてしまうことはあるのだと思う。

理由がないと断れない人にとって、法律というのは強い後ろ盾になる。子どもにいちばん近い場所にいる親が、注意しやすくなった。自分には必要のないものでも、必要な人がいるなら、あっていいと思う。

自分の子には、たぶん高校まで持たせない

自分の子どもの話でいえば、よほど必要な状況にならない限り、高校に入るまでスマホは持たせないと思う。

ただ、パソコンの技術は身につけてほしいと思っている。だから、簡単に使えてしまうアプリは禁止したいけれど、もし自分で調べて、一般には知られていない方法でパソコンからSNSにたどり着いていたら、それは許すと思う。

親の目が届かないところまで技術を身につけているなら、それはそれで大したものだ。それくらいの力がある子なら、人に流されずに自分で考えて行動できているはずで、周りがやっているというだけの理由で危ないことに乗ったりはしないと思うから。

つまり、禁止したいのはSNSそのものというより、何も考えないまま使えてしまうことのほうなのだと思う。

守るか破るかより、選ぶ前に考えたか

自分は基本的にルールを守る側の人間だ。守ったほうがメリットが大きいと思っている。ただ、意味がわからないルールについては、守らなくてもいいと考えていることもある。実際に破ったことはないけれど。

だから子どもにも、守れとだけ言いたいわけではない。

やってほしいのは、選ぶ前に考えることのほうだ。この行動をとったら何が起きる可能性があるのか。それが起きたとき、自分はそれをちゃんと引き受けられるのか。そこまで想像してから決めてほしい。

——と書いてみて、これはかなり高い要求だな、と自分でも思う。大人でもできていないことを求めている自覚はある。

「自分で考えられる子になってほしい」と「ルールで縛る」が両立するかと聞かれたら、正直、ある程度まではとしか答えられない。きれいに両立するとは思えない。

ここまで書いておいて言うのもなんだけれど

ここまで規制に賛成する立場で書いてきたけれど、それが揺るぎない正解だと思っているわけではない。

SNSが子どもに与える悪影響については、それを示す研究がある一方で、専門家のあいだで結論が出ているわけではないらしい。「悪影響が確認されている」ではなく、「悪影響が指摘されていて、それを根拠に規制が始まった」というのが、たぶん正確なところだ。

オーストラリアの人権委員会は、この規制が人権を侵害する可能性を指摘してもいる。反対する立場にも、ちゃんと理由がある。

それでも、被害が出ている以上は何かしたほうがいい、というのが今のわたしの考えだ、ということだと思う。

新しいものは、後からルールができる

SNSを使うことで起きるとされていること——視力が落ちる、睡眠の質が悪くなるといった体のこと。人と比べて落ち込む、炎上に巻き込まれるといった心のこと。これらは、使われるようになってから時間が経って、少しずつ指摘されるようになったことだ。

そして、まだこれからも出てくるのだと思う。

新しいものを、最初から完璧にコントロールすることはできない。だから遅れて問題がわかって、遅れてルールができる。この順番自体は、たぶん避けられない。

その順番を理解したうえで、欲望に負けずに自分で考えて自制できるようになってほしい、というのが、いちばん願っていることだと思う。

日本でも子どものSNS利用に年齢制限を設ける検討が始まっていると報じられたけれど、中身はまだわからない。大まかには同じやり方でいいと思っている。文化の違いに合わせて少し調整するくらいで。企業側にペナルティがあれば、効果が出ていない間は技術的な方法を模索し続けてくれるはずだから。

まとめ|SNSがなくても、毎日は楽しめているか

SNSの中身を作っている側の人が、自分の子どもにはスマホを持たせない、SNSは絶対にさせないと決めている——そういう話を聞いたことがある。伝聞なので確かなことは言えないけれど、危険を知っている人ほど近づけないようにしている、というのは、少し考えさせられる話だと思った。

一度、SNSと自分の距離を考えてみてほしい。何のためのSNSなのか。SNSを楽しむために、自分の時間や人生のほうがSNSに支配されていないか。SNSがなくても、自分の毎日は楽しめているか。

大人になってから始めたわたしは、正直、SNSがなくても生きていける。子どもの頃にはなかったから、写真を撮ってばかりで思い出を作りそこねたとか、動画にコメントされて傷ついたといった記憶はなくて、ただ遊びに夢中で楽しかった、という記憶ばかりが残っている。

今の子たちが将来、自分の子ども時代を振り返ったときには、きっとSNSの中の思い出が多くて、「そういう時代だったな」と思うのだろう。それはそれで仕方のないことだけれど、その時代でしか感じられない体験や思い出も、たくさん作っていてほしいと思う。

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