子ども用ハーネスは使う。ただ、わたしはたぶん試されない

気になる言葉・話題

子ども用のハーネスについて、賛否が話題になっているのを見かけた。使う派と使わない派、それぞれの言い分が並んでいた。

(この記事は2026年8月時点で書いています)

読みながら考えていたのは、賛成か反対かということよりも、その手前にある別のことだった。

必要があれば、絶対に使う

まず自分の立場を書いておくと、必要な場面が来たら絶対に使う。ここは迷わない。

理由はふたつある。ひとつは、子どもを守れること。もうひとつは、周りの人に迷惑をかけずに済むこと。

書いてみて気づいたけれど、二番目が自然に出てくるあたりが、たぶんこの記事で書きたいことの入り口になっている。

「ペットみたい」という批判のほうが、古いと思う

反対する人が引っかかっているのは、たぶん見た目のことだと思う。犬を散歩させているように見える。だから動物と同じ扱いだ、子どもを雑に扱っている、という受け取り方になる。

でも、その受け取り方には前提がある。「動物と同じ扱い=ぞんざいに扱っている」という思い込みだ。

その思い込みが通用していたのは、動物がぞんざいに扱われていた時代の話ではないだろうか。今は、ペットを家族と同じように大事にしている家が増えていると思う。犬と同じに見えることは、もう雑に扱っていることの証明にはならない。

批判している言葉のほうが、時代に追いついていない気がする。これは考え方についての話であって、そう考えている人を悪く言いたいわけではない。

それでも、周りの目は気になる

とはいえ、実際に使う場面で周りの目が気にならないかと言われたら、それは嘘になる。

これはハーネスとは別の話だけれど、わたし自身、外見のことで判断された経験がある。だから、そういう視線があることを知っているし、それがどれくらい嫌なものかも知っている。

ただ、気になるからといって従うつもりはない。見ただけで人を決めてしまうのは、もったいないことだと思っているから。理屈で言い返すというより、そういう見方のほうを引き受けない、という感じに近い。

気にする人ほど、使えなくなる

でも、同じような経験をしても、切り返せる人ばかりではないと思う。むしろ、傷ついた分だけ人の視線に敏感になって、萎縮してしまう人のほうが多いかもしれない。

そう考えると、おかしなことが起きている。

周りの目に敏感な親ほど、子どもを守るための道具を使いにくくなる。

気にしない人は使えて、気にする人は使えない。守りたい気持ちの強さとは関係のないところで、使える人と使えない人が分かれている。

常識は、たぶん世代で変わる

こういうことは、どうやって変わっていくのだろうと考える。

たぶん、世代が入れ替わるのがいちばん早いのだと思う。これはあくまで自分の印象でしかないけれど、ハーネスをよく思っていない人には年配の方が多いような気がしている。データを見て言っているわけではないので、そう感じている、という程度の話だ。

だとすると、変わるまでには時間がかかる。数年でどうにかなる話ではないのだと思う。

変わるまでのコストは、親が払っている

では、変わるまでのあいだ、今困っている人はどうすればいいのか。

周りの目が気にならない人には、どんどん使ってほしいと思う。使っている人が増えれば、見慣れた光景になっていく。常識はそうやって動く。

一方、気になってしまう人は、ハーネスが必要になるような場所——人混みなど——を避けるしかないのかもしれない。

つまり、どちらにしても、コストを払っているのは親のほうだ。気にならない人は前に出ることで払い、気になる人は行ける場所を狭めることで払っている。

この話は、たぶんハーネスだけの話ではない。子どもが他の人に迷惑をかけるかもしれないと考える家ほど、電車を避けて自動車移動が中心になる、という話を聞いたことがある。

気を遣う家庭ほど、公共の場から静かに降りていく。逆になっている気がする。

子どもを巻き込んで戦うことはできない

避けるしかないのは仕方ないのか、と考えると、たぶん仕方ないのだと思う。

自分ひとりのことなら、視線を受け流すことも、こちらから相手を評価し返すこともできる。実際、そうしてきた。

でも、隣に子どもがいると、その戦い方は使えない。

自分の分の覚悟はあっても、子どもの分まで背負わせることはできない。だから避けられるなら避けると思う。それは弱さというより、守る側に回ったからこその判断なのだと思っている。

ただ、わたしはたぶん試されない

ここまで書いておいて、正直に言っておかなければならないことがある。

わたしは田舎に住んでいて、移動は基本的に自動車だ。そのうえ人混みが苦手なので、そもそもハーネスが必要になるような場所に行く可能性が、ほとんどない。

つまり、「必要があれば絶対に使う」と言い切っているけれど、その言葉が試される場面は、たぶん来ない。

言うのがいちばん簡単な位置にいる。そのことは、自分でも分かっている。

都会だったら、たぶん自分も避けていた

毎日電車を使って移動している親は、避けることができない。とても大変だと思うし、実際に困っている人もたくさんいるのだと思う。

そして、もし自分が都会に住んでいたら、と考えてみる。

たぶん、歩いて行ける範囲で我慢して生活していたと思う。ハーネスを堂々と使って電車に乗るのではなく、電車に乗らなくて済む暮らし方を選んでいた気がする。

信念の強さで結果が決まっているわけではない。住んでいる場所が、結果を分けている。

まとめ|偏見を持たないでいてほしい

「使う自由」は、全員に同じだけあるわけではない。

使いたいと思っていても、周りの目に耐えられる人と耐えられない人がいて、避けられる場所に住んでいる人と住んでいない人がいる。同じ道具なのに、使える条件がずいぶん違う。

だから、使っている人がいても当たり前に受け止められる、という空気になってほしいと思っている。今まさに困っている人のために。

とはいえ、まだ自分の考えを決めていない人に、賛成に回ってほしいとか、使ってほしいとか、そういうことを言いたいわけではない。

ただ、偏見だけは持たないでいてもらえたら、それでいいと思っている。

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