少し前に、「ドパガキ」という言葉について記事を書いた。その言葉が、今度は大人に向けて使われていた。
ネットニュースで、「ドパ中年」の浪費をテーマにした記事を見かけた。手軽な刺激に流されるのは若い人だけではない、ということで、残業帰りのコンビニで新作スイーツを買ったり、寝る前にスマホで見た服を買ってしまったりする人の話が紹介されていた。
(この記事は2026年9月時点で書いています)
便利さと、浪費は比例している
最初に思ったのは、言葉のことより、仕組みのことだった。
記事の中で、スマホやキャッシュレス決済のせいで、お金を失う痛みを感じにくくなっている、という説明があった。
以前、現金払いについて書いたときに、キャッシュレスが好きではない理由のひとつとして「お金が減った感覚がない」と書いた。同じことが、ここでも語られていた。
新しい仕組みは便利だ。でもその便利さが、つい買ってしまうことを後押ししている面もある。便利さと浪費は、比例しているのかもしれない。だから現金にしましょう、という話ではない。便利なものには、そういう裏側もある、というだけのことだ。
「若者を指す言葉」になっていた
気になったのは、そのあとだった。
記事の冒頭では、「ドパガキ」が、手軽で強い刺激ばかりを追い求める若者を指す言葉として紹介されていた。
前回調べたとき、この言葉は、若い世代が自分のことを笑って言うときにも使われていた。「スマホばかり見ていたらダメなのは分かっている。でも、ついやってしまう」。そういう気持ちを、自分で先に言ってしまう使い方だ。
もちろん、言葉の経緯まで記事に書く必要はないのかもしれない。でも「若者を指す言葉」とだけ説明されると、周りが勝手に作った流行り言葉としてしか受け取れなくなる。自分に向けて言っていた人たちの「分かっているけど、つい」は、そこからは伝わらない。
そうなると、言葉が使われる場所も変わっていきそうだ。自分を笑う言葉だったものが、人をバカにする言葉に変わってしまうこともあると思う。
前回、「使う人が遠ざかるほど、意味が変わっていく」と書いた。それが、ニュースの中でそのまま起きていた。
言葉も、ドーパミンを求められている
言葉は生き物だから、変わっていくのは仕方ないと思う。
ただ今回は、使っている人たちが使いやすいように変えたのではなく、発信する側が、注目を集めるために使っているように見えた。それが、なんだかいい感じには思えなかった。
注目を集める言葉が選ばれるのは、たぶん、読む側がそういう言葉を求めているからだ。手軽な刺激を追い求める人についての記事が、手軽な刺激になる言葉で書かれている。考えてみると、少し不思議な構図だと思う。
でも、情報があふれている今の社会では、仕方のないことなのかもしれない。わたしが勝手に違和感を感じているだけで、結局、言葉もドーパミンを求められているのかもしれない。
わたしにもある、「分かっているけど、つい」
ここまで書いておいて、わたし自身はどうなのかというと、ある。今は、ゲームだ。
昔やっていたゲームを、久しぶりに再開した。1日数十分だけ楽しんで、クリアを目指そうと決めていた。それなのに、始めるとつい、1時間を超えてしまっている。
分かっているけど、ついやってしまう。前回調べた「ドパガキ」の、自分に向けて言うほうの意味は、たぶんこういうことだった。
言われたら、たぶん「そうかも」と言う
では、わたしは自分で「ドパ中年だわ」と言えるだろうか。
少し言えると思う。人から言われても、「そうかも」と同意してしまいそうだ。そして、自分で決めたことを守れていない恥ずかしさを、よけいに実感すると思う。
前回の記事では、もし自分が子どもで、知らない大人から「ドパガキ」と言われたら、たぶんイラッとする、と書いた。同じような言葉なのに、今回は反応が違う。
なぜだろうと考えて、たぶん、自分でそう思っているかどうかの違いなのだと気づいた。「ドパガキ」と言われる想像をしたときは、自分にその自覚がない前提だった。今回は、ゲームのことで自覚がある。
分かっているから、自分で言えるし、言われても受け止められる。自覚のない人に外から貼られると、同じ言葉がレッテルになる。自分に向けて言う使い方が成り立っていたのは、言う本人が、いちばん分かっていたからなのかもしれない。
止めるより、早く終わらせる
記事では、FPの方が、物理的に距離を置く対策をすすめていた。そういうやり方もあると思う。
わたしのゲームの場合は、少し違うやり方をしている。時間を作って、早めにクリアしてしまう。過去の経験で、クリアするとゲーム熱は冷めると分かっているからだ。
終わりがあるものは、没頭しても、そこまで怖くない。逆に、コンビニの新作やスマホのおすすめには、終わりがない。だから難しいのだと思う。
まとめ|受け取るだけでなく、自分で調べたい
今回、なんとなく見ているネットニュースを、なんとなく信じていた自分に気づいて、少し恥ずかしくなった。これまでも、流行り言葉を、記事に書いてあった説明のまま受け取っていたことがあったと思う。
ほとんどの流行り言葉は、そのうち消えていく。だから、社会にとっても、自分にとっても、大きな問題ではない。
ただ、今は簡単に検索できる。だからこそ、新しい言葉や気になった言葉は、受け取るだけでなく、自分から調べて理解するようにしたいと思った。
学生のころ、知らない言葉は辞書で調べなさいと何度も教えてもらっていたのに、あまり実行しなかった。手軽な刺激とは反対の、少し手間のかかる「理解する」ということ。その大切さを、40を過ぎてやっと少し理解できた気がする。

