「メアドって何?」
中学3年生の息子さんにそう聞かれた、というお母さんの話が記事になっていた。息子さんは「メールアドレス」という言葉は知っていたけれど、「メアド」がその略だとは分からなかったらしい。記事への反応には、メアドがもう「平成レトロ」扱いされていることに驚く声が並んでいた。
(この記事は2026年9月時点で書いています)
メールアドレス、今も使っているけれど
読んで、まず驚いた。
というのも、わたしは今もメールアドレスを使っている。友人とのやり取りでは使わないけれど、企業のサービスに登録するときや、派遣会社と連絡を取るとき。メールは今も普通に届くし、こちらからも送る。
だから、スマホにメールアドレスがあっても普段は使わない、というのが少し意外だった。
考えてみると、メールアドレスの役割が変わったのだと思う。私的な連絡手段から、手続きのための道具になった。友人とはLINEでつながり、メールは会社や窓口とのやり取りに使う。わたしの中でも、いつの間にかそう分かれていた。
消えたのは「メアド教えて」のほうだった
では、「メアド」という言葉はどうだろう。
会話で出てくることは、正直あまりない。でも、聞いて違和感があるかといえば、まったくない。普通に分かる。
使わなくなった理由を考えてみると、言葉そのものに問題があったわけではなかった。「メアド教えて」と言う場面そのものが、なくなっていた。
理由は2つ重なっていると思う。ひとつは、連絡先を交換する手段が変わったこと。もうひとつは、新しく人と出会う機会自体が減っていることだ。後者は、今のわたしの生活の話でもある。
メールアドレスは消えていない。消えたのは、それを「教えて」と言い合う場面のほうだった。
携帯電話を近づけて、赤外線で送っていた
「メアド教えて」と言っていた頃のことを、思い出してみた。
メールアドレスの交換には、赤外線を使っていた気がする。携帯電話同士を近づけて、送り合う、あのやり方だ。
つまり、連絡先を交換するには、2人が同じ場所にいる必要があった。今はアプリで連絡先を送れば済むので、その場にいなくてもいい。あの頃の交換には、体が伴っていた。
さらに前は、そもそも携帯電話を持っていない人も多かった。学生の頃は、クラスの半分くらいは持っていなかったと思う。連絡網は、家の電話が当たり前だった。
インターネットで知り合った人とのやり取りにも、メールアドレスを使っていた。mixiやモバゲーのようなサービスで知り合った人と、サイトの中でチャットができるのに、わざわざメールでのやり取りに移していたこともある。たぶん、サイトによって制限や規制があったからだと思う。メールアドレスは、サービスの外に出るための出口だった。
連絡先は、何度も形を変えてきた
こうして並べてみると、連絡先は何度も形を変えてきた。
家の電話。赤外線で送り合うメールアドレス。そして、LINEの連絡先。
LINEを使うようになってからは、自然とLINEの連絡先を聞くようになった気がする。わたし自身も、そのたびに乗り換えてきた。
「メアドって何?」と聞いた中学生は、最初からいちばん新しい形の中にいるだけだ。わたしがその時々の当たり前を使ってきたのと、変わらないと思う。
ネットワーク上の住所だと思っていた
それでも、引っかかることはあった。
ひとつは、ここ数年で使う機会が減っていたとはいえ、そんなに古い言葉だという認識がなかったこと。もうひとつは、わたしがメールアドレスをネットワーク上の住所のようなものだと思っていたことだ。
住所は、簡単には変わらない。そういうものを使わずに過ごしている人がいる、ということに驚いた。
そして考えているうちに、ひとつ気になってきた。LINEのトークやインスタのDMは、そのサービスの中でつながっている。サービスが終わったら、連絡が取れなくなるかもしれない。
メールアドレスは、どこの会社のものでも、別の会社のアドレスに届く。電話番号や住所も、ひとつのアプリの中だけで使うものではない。だから、長く付き合いたいと思う人には、そのどれかを聞いておきたい。
辿れる人と、辿れない人がいる
では、今の自分に、サービスが終わったら連絡が取れなくなる人はいるだろうか。
すぐには思いつかなかった。年賀状をやり取りしている人とは、住所を知っている。SNSはほとんど使っていなくて、使っているのはLINEくらいだ。
でも、結婚前に作家活動をしていた頃を思い出すと、話が変わる。あの頃に知り合った人の中には、今連絡を取ろうとしたら、きっと困る人がいると思う。
学生時代の友人なら、誰かを辿れば連絡先は分かる。同じ場所に、大勢がいたからだ。でも、社会人になってから一対一で知り合った人とは、その一本の線でしかつながっていない。共通の知人もいないことが多い。その線が切れたら、他に道がない。
大人になってからの出会いのほうが、連絡先が1本しかない状態になりやすい。書いてみて、少し意外だった。
仕事で会う人には、自分の連絡先を渡していた
プライベートな付き合いなら、連絡が取れなくなったらがっかりはするけれど、受け入れると思う。
ただ、作家活動で知り合った人には、少し違うことをしていた。自分の電話番号とメールアドレスを、こちらから伝えていた。
相手の連絡先を聞くのではなく、自分の連絡先を渡しておく。こちらから辿れなくなっても、相手が「連絡したい」と思ってくれたときに、確実に届く道が残るように。
取りに行くのではなく、開けておく。今振り返ると、あれはサービスに頼らない連絡先の残し方だった。
まとめ|携帯電話と一緒に広まったものが、もう古い
メールアドレスは、携帯電話が広まった頃に、多くの人の手元に届いたものだ。わたしにとっては、それほど昔のものという感覚がない。それが、もう「平成レトロ」と言われている。
時代の変化のスピードが、速くなっていると感じる。
家の電話から、赤外線で送り合うメールアドレスへ。そしてLINEへ。連絡先の形は、わたしが見てきた間だけでも何度も変わった。次の形がいつ来るのかも、たぶん分からない。
形が変わるたびに、途切れる線もある。学生時代の友人なら、誰かを辿ればまたつながれる。でも、大人になってから一対一で知り合った人とは、その一本が切れたら、それきりになりやすい。
だからこそ、長く付き合いたい人とは、ひとつのサービスだけに頼らない形でつながっておきたい。相手の連絡先を聞いておくこと。そしてそれ以上に、自分の連絡先を、相手に開けておくこと。
それに、メールアドレス自体は、今も普通に届いている。消えたのは「メアド教えて」と言い合う場面のほうで、その場面がなくなったから、呼び方が先に古くなった。中身はまだ現役なのに、言い方だけが先に古くなる。「メアドって何?」は、そういうことなのだと思う。

